大成地区だよりからの転載記事

このエントリーをはてなブックマークに追加

大成地区だよりからの転載記事です。

 

掲載記事一覧

次の記事を掲載しています。


 

上川神社 95年の変遷

上川神社例大祭特集号(1985年8月)から
(上川神社社務所提供)

旭川開基後3年の明治26年、上川地方開拓守護の神、旭川の鎮守として、宮下通り4丁目から7丁目間の義経台と呼ばれた高台に、天照皇大御神をおまつりしたのが、上川神社の御創祀であります。

同31年に6、7条通り8丁目に奉遷され、更に同35年宮下通21丁目に奉遷されまして、同36年創立許可があり、同37年あわせて大貴己大神少彦名大神をおまつりし、同40年神饌幣帛料供進神社に指定され、人々の厚い崇敬をうけ、上川地方の開拓の進展、旭川の発展と共に神威愈々輝き、先人達の敬神の真心が稔って、同39年村社に、大正2年近文神社を合祀し、大正4年郷社に、同12年県社に昇格し、同13年には、明治22年上川離宮の予定地に、宣達せられた、皇室の世伝御料地であった現社地神楽岡に奉遷されました。

戦後は国の神社制度変革に伴い、完教法人神社本庁に属する宗教法人となり、昭和31年神社本庁、別表神社(もとの官幣社、国幣社と同じ格式をもつ神社)に指定され、道内はもとより全国的にも著名の神社として現在に至っております。

皇族殿下の御参拝あらせられること数次、昭和19年9月天皇陛下旭川市行幸の際、御使を御差遣になられ、御幣帛を奠じ御拝あらせられました。

同43年間道100年、上川神社御鎮座75周年に際し、伊勢神宮より特に撤下御神宝の御下附をうけ、同53年御鎮座85周年の記念事業、参集殿新築に際しては、参集殿神殿の御扉に伊勢神宮古殿舎撤去材の御下附をいただき、伊勢神宮祭主、北白川房子様より同38年御鎮座70周年に際し「ななとせの月日を栄えし上川の神のみいつをあふけ諸人」又、同48年、御鎮座80周年に際し「北国の守の神といつきまつる神のみいつを仰げ諸人」の御歌を賜わりました。

上川神内の祭典は年に一度の大祭である7月20日から22日の例大祭には、3基の神輿が市中を御神幸となり、その供奉人員は例年、6百余名を数え、市民各位の奉賛による盛大な祭が奉行されており、昭和60年からは人々の手でかつぐ神輿渡御が「神輿をかつぐ会、粋旭」の若者により33年ぶりに復活し、旭川市の鎮守の社として、愈々盛大な例大祭が奉行されております。

又、年穀の豊穣、産業の発展、皇室、国家、国民の平和と繁栄を祈る春秋の祈年祭、新嘗祭をはじめ、伊勢神官から特別おわけいただいた火きり具によって、神宮古来から伝わる木と木をすりあわせ浄火をきり出す、全国でも数少ない「火鑽り神事」が一月の古神札焼納祭に先立って奉行されるほか、古儀、伝統を伝える諸祭典が厳修されております。

掲載記事一覧にもどる


 

「日の出橋」完成記念フェスティバル

第12号(1992年5月)から
実行委員長カブトヤ薬局店主 中井 敏光

「日の出橋」は旭川市内の中心部を流れる牛朱別川に架かり、大成地区の10条14、15丁目と新旭川地区の東6条1丁目を結ぶ生活産業幹線の橋です。
そもそもは明治時代末期に、現在より約100メートルほど下流に架設されたが大正11年の豪雨で流失、複旧はしたが昭和7年の牛朱別川切替工事にともない現在地に新設されたものです。

以来60年の歴史を刻み、牛朱別川に架かる最古の橋として親しまれてきたが、老朽化に勝てず平成元年から架け替え工事が進められていました。
かつて、新旭川地区にあった中島遊郭一帯を「日の出町」と呼んでいたことが橋の命名につながったものと想像されます。

また昭和29年に国民体育大会が旭川で開催された際、市立東5条小学校を訪問した前天皇、皇后両院下がこの橋を渡られたことも、地域の自慢の一つになっていました。

そんな,”おらが橋”の架け替え工事完成を祝って、大成地区の”橋のたもと”に住む人たちが昨年夏、子供や孫たちに胸を張って伝えてやれる、後世に残るイベントを開催しようという計画を持って集まりました。
カブトヤ薬局経営(中井敏光)、重原整骨院(重原幸司)、大江商店(大江泰弘)、岳総合製本所(岳隆久)、石川商店(石川清敏)、田中板金工業(田中会子)の6人のサムライです。

8月13日に第一回目の会合を持ちイベントの開催日を11月25日(月)に予定されていた渡橋式の前日、24日(日)に設定。
その計画を持って市役所を訪ねたが、行政側から「前例がない」という理由でクレーム。

一時は開催も危ぶまれたが結局、納得しきれぬ6人に対し市側は「一部の住民たちのイベントではなく、市民委員会としてのイベントなら、橋や道路の使用も考えてもよい」という市側の妥協案に意を強くした6人は、すぐその足で大成地区市民委員会の狩野清利会長のもとを訪ねました。

話を聞いた狩野会長は即座に「市民委員会として協力しましょう。ぜひイベントを成功させましょう」と力強く約束、さっそく新旭川地区市民委員会の棧憲夫会長や、地域の各町内会の代表者らによる会合が開かれ、住民主体による「日の出橋完成記念フェスティバル」の開催が決まりました。

6人は急拠、協賛金のお願いに走る事になった。
寄付を求められた企業や個人は、6人の熱意に打たれ、イベントに賛同する気持ちをこめて資金援助に協力、浄財は2日間で113万円に達し、合わせて173万円の予算でイベントを練ることができました。

11月24日の記念フェスティバルは朝9時の打ち上げ花火で幕を明け、知新小、北都中の生徒たちによるブラスバンド行進で祭りムードを盛り上げ、正調北海盆太鼓保存会による祝い太鼓、東光のジャズダンスグループ「ペパーミント」によるリズミカルな踊りが披露される中、もちつき大会、綱引き大会などが繰り広げられました。

天候は雪が降ったり、日がさしたり、テントを張った屋台では、焼き鳥、豚汁、おでん、たこやきなどが人気を集め、予定時間の12時までに用意したすべてが出つくしました。
また、飛び入りで参加したクロネコヤマトの御輿3基が会場を練り歩き、全体を華やいだ雰囲気に包み、盛んな声援浴びていた。こうして2時間半の短いイベントは終りました。

掲載記事一覧にもどる


 

街角の小さな信仰

第13号(1993年5月)から

どこの街へ行っても、また、どこの地域に行っても、小さな石像やお社がわびしく建っているのを見ることがあります。どんな小さな石像でもお礼でも、その建立に際してそれぞれいわれがあり、また、その地域の人々の信仰を集めて守られています。
わが大成地区にもあるそのようなもののいくつかを結紹介します。

 ◆鉄道用地地蔵様

6条17丁目 寿福会元会長 原田 正一

場所は、旭川市6条通17丁目左10号(鉄道用地)にあります。
戦後、昭和20年代、6条通17丁目から10条通りの鉄橋までは、魔の踏切といわれました。
尊い人命がなくなり、親子心中や事故が絶えませんでした。昭和30年、6条通17丁目寿福町内会会長土肥正雄氏が町内皆様と協議して建立に至りました。

その後、年1回8月24日、地蔵様のお祭りと法要を致しております。

 ◆馬頭観世音様

6条12・13丁目町内会長 板東 劭

当町内会にお祀りされている馬頭観世音様です。
・設置場所 旭川市6条通13丁目左5号仲通り
・建立年月日 昭和15年10月18日
・建 立 者 遠 藤 豹 太
・護持責任者 宗教法人八大龍王大自然受信教団
旭川馬頭観世音会(旭川市4条茶通り13丁目左5号仲)

馬頭観世音の由来

およそ神の道、仏の道、動植物の道、人の道は、社会進化向上において不可欠の道で、これを四方といい、これを尊敬し、これを護行することによって社会を浄化し、真の光明を顕現し得るものです。

しかしながら世人の神、仏、人の三道は、これを尊敬し謹行していても、動植物の道だけは、一般に等閑に附し、昔から動植物の諸霊を「馬頭観世音」として祀ったにもかかわらず、一般には「馬頭」とは馬の頭を祀ったものと誤解していることはまことに遺憾なことです。

人間以外の動物が直接間接社会に貢献し、死後までも毛、骨、肉、皮として用いられており、ことに馬匹は山野の開墾に、田畑の耕作に、あるいは乗馬に、荷物の運搬に、凍る冬期にも炎暑の真夏にも骨身を借しみません。その他数々の人類に貢献するところ意外に驚くばかりです。

馬は諸動植物の筆頭第一位に位し、動植物の各霊魂は、その旗下に集まるものとして、これら諸霊魂を祀るために「馬頭」という名称を用いたのです。すなわち「馬頭」とは諸動植物の長であり頭であるという意味で附されたもので、諸霊総称であります。

「万物の霊長たる人間は、以上諸動植物の社会人類に貢献する事実に意を注ぎ、常に馬頭観世音を礼拝し、至誠至純もってこれを慰霊し、成仏せしめることが一面われわれ人類の義務であることを深慮するものである。」(八大龍王大自然愛信教団旭川観世音会碑文)

多くの信者の方々が毎日掃除等清掃を行うほか、お参りにつとめられています。私共町内会が平穏無事なのも、馬頭観世音様のおかげと思っています。

弁天神社

旭川銀座商店街振興組合理事長 岡島 正男

銀座商店街、しあわせ広場2条右に「弁天神社」という神社があります。小さな神社で目につかないかもわかりませんが、商売繁盛・家内安全の神様として私たちは大切にしています。

弁天神社の由来

それは、昭和50年以降銀座商店街が、しあわせ広場を造成し、生まれ変わるために産(う)みの苦しみをしていた頃にさかのぼります。

当時の商店街理事長・高橋喜八氏(故人)が所用あって上京し、機会を得て鎌倉の銭洗弁天神社に参詣しました。商売の神様として銭洗弁天様は、繁盛を願う善男善女の人の波はひきも切らず、周辺の商家の人々の信仰の深さと街の賑わいに大きな感銘を受けたのです。

そしてこれからの街づくりは皆が心を合わせなければ……。
そのためには手を合わせることから始めなければと、昭和53年、しあわせ広場造成と同時に、同地内に銭洗弁財天を勧請することを決定しました。

ところが当時は神社も祠(はこら)もなく、広場中央に水車を置き、水車の水が滝となるその奥に弁天様を祀(まつ)るだけでした。
その後現在地に神社を建立、地区内の七福神をお祀りする出雲神社により、正式に入魂の儀をとり行い、御遷座を願って現在に至っています。

弁天様は、弁財天あるいは弁才天ともいい、商売の神、学問の神として福の神であるとともに、陰陽五行説による弁天様の化身ともいわれる蛇も、財宝をもたらす福の神として、一緒に祀られてきたのです。

九月/弁天まつり

毎年、当商店街の氏神様である弁天神社のお祭りとして、9月23日(秋分の日)に「弁天まつり」を開催しています。

七福神の仮装パレード、ミス弁天の公募、カラオケ大会、もちつきやもちまきを市民参加を得て実施しているのですが、お祭りの趣旨は”村の鎮守の神様の、今日は目度たいお祭り日、”ドンドヒャララドンヒャララ……”という日本中にありふれた地域信仰、土俗信仰的なものだと考えています。

ただ、このイベントに対する評価は高く、以前は旭川市から、今年は上部団体から補助金が出ますので、これを機会に単に商業サイドのイベントでなく、弁天神社のあり方や周辺の環境整備も含めた見直しをしたいと思っているところです。

商店街のドまん中に神社があるなどというのは、多分日本でここだけではないでしょうか。手のシワとシワを合わせてシワアワセ→シアワセになりたいという素朴な感情をいつまでももちながら、私たちの夢は、商店街の弁天神社、弁天まつりではなく、地域の皆様の信仰厚き神社として威厳と風格をもてるようにしていきたい、そう願っています。

掲載記事一覧にもどる


 

養護盲人老人ホーム 「旭光園」の紹介

第14号(1994年5月)から
7条17丁目 旭光園園長 横山 末子

当園は、北海道に2ヵ所あるうちの一園の養護盲人老人ホームであり、通常の老人ホームの機能の他に視力障害のお年寄りに対するケアをも合わせ待お年寄りのホームです。
開園以来、早や14年の歳月を経過しました。開園当時より幾多の紆余曲折を経て現在に至っておりますが今までの経験を踏まえ新たな前進へと歩を進め出した所です。

入園定員は50名であり現在(平成6年)5組の夫婦を含め満員で、職員数は嘱託医も入れ23名となっています。
入園者は、出身別に見ますと、36名が旭川市出身で他の14名は他市町村です。

平均年令は78歳で80歳以上の方は25人を占めております。在園期間は平均8年11ヵ月であり、長期利用者が多いことを物語っています。

近年急速に進む老齢化に対して国の福祉全般に対するゴールドプランが策定され事業が進められ5年を過ぎましたが、それに伴って多くの問題がクローズアップされてき、生活しているお年よりや運営者にも皺よせがあり頭痛の種となっております。

お年寄りに対するケアの方法も在宅介護が主となり”老後は自分の家で”の趣旨に添い我が園も入園前の状態に近い生活ができる事を目標に、個々人の多様化されたニーズに対応できるよう努力を重ねております。

数年前よりボランティアグルーブ、個人等の奉仕活動を受けたり保育園園児、中学生及び大成地区市民委員会福祉部、大成地区社会福祉協議会、大成クラブ等との交流が成立し、入園者も孫・曽孫との触れ合い、青春時代の苦し懐しい話に興じ、生きている実感を昧わっているようです。

幸い当園は街の中に位置しており、入園前との環境のギャップが小さく、外出、買物、通院、面会等には利便性を発揮し、喜ばれております。園の事業計画の中に地域の方々との交流を掲げており納涼祭、ダンスパーティ、旭光園祭、運動会等に参加して一時の楽しさを共有させていただければと願っております。

今後は地域の皆様の御協力と御援助をいただきまして防災訓練とか在宅高齢者の方々へのサービスや介護技術の援助等園の持てる力(資源)を活用していただけるようになればと計画しております。
大成地区の福祉のネットワークの隅に組み入れていただき、入園者が皆様方との交流で楽しく安定して毎日が送れるよう念じております。

掲載記事一覧にもどる


 

”銀座しあわせ広場”から”銀座仲見世通り”への挑戦

第21号(2001年5月)から
旭川銀座商店街振興組合 理事長 林 喜代次

道路と施設物がこれほど充実してきますと、なにかと仕事終えていっぷくをしたい誘惑にかられますが、実は逆にのんびりしていられない気持ちでいっぱいであります。
血税をつかった大規模な工事に呼応して、私たち自身のマインドを変えることができたのか、私たち自身の未来展望を描ききることができたのか、はなはだ心もとない限りであります。

私は日頃「工事の終わりは、私たち自身の出発点なんだ」と中し上げて参りました。それは〈棚からぼたもち〉の突貫工事が終了し、なんとなれば私たち自身がどれほど汗と血を流したのかという〈こだま〉となってはね返ってくるからです。

“終わりの始まり”だという認識をもってほしい理由は、ここにあります。商店街と自店の繁栄は、正しく地域住民の皆さんにささえられながら、水車のようにたえることなく研鎖努力することによって、自分自身で克ち取るものだと考えております。

今回の施設整備にあたりましては「神社の参道をイメージした下町情緒あふれる街づくり」を基本テーマにいたしました。全部が全部ということにはなりませんでしたが、市民委員会役員の皆さん、町内会長さんのご意見なども随分参考にさせていただきまして、最終的には旭川市と協議のうえ進めて参りました。

唯一の誤算?と申しましたら「弁天神」の建立に係わる経費の捻出のことでありました。「特定の宗教に肩入れはできない」あるいは「かかわりたくない」という至極もっともな言で、「弁天神社の建設費一切は自己資金で」という結末--さて弱りました。

早速に大成地区役員等と相談のうえ『弁天神社設立期成会』を発足させ、適切なアドバイスを受けながら、しかるべき方法で資金の捻出にかけまわっているところであります。この間気がついたことなのですが、弁天神社が商店街にある商店の商売繁盛を願う神社なんだと思われていることが残念でなりません。

これからは私共が弁天神社周辺を”鎮守の森ゾーン”とした意図について積極的にアピールしていきたいと考えています。
親→子→孫が仲むつまじく語らい、子供たちの歓声が地域にこだまするような、そんな場所であってほしいと願っています。

施設整備事業は大きく一歩前進いたしましたが、その分それに見合った課題が重く肩にのしかかって参ります。
「いい街づくりができたね」という賛辞の一方、「なんに・も変わってないんでがっかりした」という批判も。

それは多分、私たちの”心”が変わってないことへのいらだちなのでしょうか。批判をしっかりと受けとめて自戒しなければなりません。

掲載記事一覧にもどる


 

旭川盲人福祉センターを支える会

第23号(2003年5月)から
旭川盲人福祉センターを支える会 会長 村瀬 稔幸
社会福祉法人旭川盲人福祉センター 理事長 森 進

当会は、社会福祉法人旭川盲人福祉センターが運営する施設福祉、地域福祉、在宅福祉の諸事業並びに視覚障害者福祉の充実・向上を図るため、物心両面で応援していこうとの目的で平成14年12月21日に発足しました。

社会福祉法人旭川盲人福祉センターは、本格的に福祉行政がスタートした昭和48年、視覚障害者自らの手により、多くの地域の皆様のご協力を得て道北地区で初めての視覚障害者福祉施設として、この大成地区(7条通14丁目)に誕生しました。月日がたつのは早いもので、早くも30年の歴史を刻んでいます。

この間、昭和55年に養護盲人老人ホーム「旭光園」(7条通17丁目)を開設、昭和9年には旭川市から、障害を持たない高齢者も利用できる旭川市神居デイサービスセンターの運営を受託するなど、高齢者福祉等、時代のニーズに即応した事業の展開をしてきています。

昨年(平成14年)、法人誕生の地(7条通14丁目)に隣接する旭川盲人福祉センター別館の老朽化が激しいため改築の計画が持ち上がり、近年の高齢者福祉の動向をかんがみ、視覚障害者以外の地域の高齢者の皆様にもご利用いただきたいとの思いから、地域の高齢者福祉の核となるべく居宅介護支援事業所(ケアプラン作成・介護相談等)、通所介護事業所(デイサービスセンター)、訪問介護事業所(ホームヘルパーステーション)の三事業を今年10月に開設することになりました。

これを機に、日頃から旭光園との交流も深い地域の皆様と視覚障害者、並びに法人・施設が一体となり、これからの地域福祉を担うとともに理解と協力の輪を広げていこうとの思いから、有志一同相寄り、旭川盲人福祉センターを支援しようと「支える会」を組織いたしました。

※ 会費は年額1口(1,000円)以上、何口でも受け付けています。

掲載記事一覧にもどる


 

『やわらぎ斎場旭川』

5条通り15丁目にオープン
第23号(2003年5月)から

急速な高齢化社会を迎えている現在においてさえも、突然訪れる死は残されたご遺族に深い悲しみと動揺をもたらします。
あいプラン「やわらぎ斎場」はご遺族になりかわり葬儀・法要のすべてをお手伝いする葬祭の専門家です。

ご遺族の方の幸せを願う心を大切にという基本理念のもと、24時間完全受付態勢で待機し、いざという時には厚生労働省認定の葬祭ディレクターが豊富な経験と知識を存分に活かしてご遺族の様々なご要望にもお応えしております。

故人にお別れをする方法は、時代背景や地域文化、宗教によっても違いますが、「やわらぎ斎場」では、親族だけの個人葬から社葬や団体葬に至るまで、宗旨・宗派を問わず、あらゆる葬儀・法要に対応しています。
また、葬儀に関する様々な相談にも応じており、最近では生前予約をされる方も増えています。

『やわらぎ斎場』は現在札幌市内に7ヵ所(豊平・北光・白石・西町・厚別・西岡・東苗穂)、小樽有幌、旭川神居と、計9ヵ所に斎場を展開しております。
いずれも最新の施設と設備をご利用頂けますが、現在計画中の「やわらぎ斎場旭川」は旭川で初めて、お年寄りやお身体の不自由な方でも快適にお使い頂ける施設として、ハートビル法の適用を受けます。

専用駐車スペースや身障者用トイレの設置はもはや当たり前の時代ですが、同法の適用にあたってはこれを更に進め、車椅子でご来場された場合でも段差などに煩わされることなく円滑にご利用して頂けます。

長い歴史の中で着実に培われてきた信頼と実績、地域に密着した立地と最新設備を誇る葬祭式場、そして何よりも常にご遺族の気持ちを第一に考えたきめ細かなサービスで、あいプラン「やわらぎ斎場」はこれからも安心のセレモニーをお約束いたします。

掲載記事一覧にもどる


  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です